Gr.A & WRcar
87年からWRCの主役を務めているカテゴリ。主にワークスチームが主体となっているクラスです。
連続した12ヶ月間に2500台以上生産された車両をベースとして、定められた範囲の改造が許されました。
しかし、4WDやターボなどを市販車の時点で装着していなければいけない・・という点では90年代に入ると、
そういった市場の大きい日本車が圧倒的に有利になり、日本車がタイトルを独占しました。
そこでFIAは97年からWRカー(ワールドラリーカー)規定を導入します。これが現在のWRCの中心的存在です。
こちらは連続した12ヶ月間で2万5000台以上生産された2輪駆動の車両をベースとし、エンジンの載せ変えとターボ装着、
駆動方式の4WD化などの大幅な改造が認められます。WRカー規定はレギュレーションの公平性だけでなく、欧州に多い
4WDやターボを市販車の時点で持たない自動車メーカーにもWRC参加のチャンスを広げたものとして、高い評価を得ました。
(※レギュレーションでは、技術的な規定が異なりますが、クラス分け上ではWRカーもGr.Aに含まれます。)
Gr.A同様に連続した12ヶ月間で2500台以上生産された市販車をベースとします。
ただし改造は大幅に制限され、認められる改造は安全装備とサスペンション程度。
市販者にもっとも近い存在で、「ショールームクラス」とも呼ばれています。
90年代半ばから三菱がGr.Nマシン活動のサポート体制を築きあげ、このクラスは「ランサー」の独壇場となっていましたが、
2002年シーズンから「プロダクションカー世界ラリー選手権(PWRC)」というように選手権が掛けられ、シリーズを再構築。
日本人ドライバー新井選手もこのシーズン、インプレッサで出場。それでも初年は台頭するランサーに苦戦しますが、徐々に勝ち星をあげ、
ひとまずFIAによる再構築は成功したといえます。
1983年までWRCの主導権を握っていたグループ4に代わって登場したクラス。連続した12ヶ月間にわずか200台生産すれば、
ベースとしてもよいので、まさにラリースペシャルというべき、ラリーにおいて純粋に「戦う」ためのマシンが生まれる大きな要素になりました。
それまでラリーは耐久性重視でしたが、このクラスでは「速さ」が追及され、軽量で剛性の高いボディが与えられるようになり、
同時に4WDやミッドシップ、電子制御エンジン、エアロパーツといった新技術も各社こぞって開発。また「速さ」の観点から「空力」も
求められるようになり、そのスタイルは年々迫力とパワーを増していきました。しかし皮肉な事に、「ラリースペシャル」の名のもと
速さを求めるあまり、そのパワーは遂に人間では操りきれないレベルまで達し、死亡事故を繰り返してしまいます。
これが最大の原因となり、この大胆な発想のクラスは、わずか4年で廃止となりました。
しかしこの短期間で、各社が名車を生んだのも事実。今でもランチアラリー037やプジョー205、ルノー5を筆頭に、
WRCファンにはGr.Bファンが多く存在します。その短命さゆえに、参戦を果たせなかった三菱スタリオンやトヨタMR2など日の目を
見なかった“悲運のラリーカー”たちの存在も見逃せません。
1973年、WRC発足当時に最初に決められた規定のひとつ。当時のFIA規定はグループ1〜8までがありましたが、
そのうちWRCでは連続する24ヶ月に生産台数が1000台以上のグループ2、同じく400台以上のグループ4によって
競われることになりました。WRCが始まって初の優勝者「ルノー・アルピーヌA110」やその年の第4戦サファリで
日本車初の優勝を遂げた「ダットサン240Z」はあまりにも有名です。三菱初の優勝を飾ったランサー1600GSRも
このクラスでした。また72年にデビューし、その後81年までWRCを盛り上げ、未だに人気が絶えない
「ランチアストラトス」もこのクラス。・・・但し同時に、ストラトスは同じフィアット傘下で本来当時のグループ3である
「フェラーリ・ディーノ」のコンポーネンツを利用し、ボディを「追加装備」という形をとっており、FIAがこれを認めていた
ためにその後レギュレーションの秩序が乱された原因となってしまいました。のちFIAはこれをふまえて、グループB
への移行に動いていくのです。
2000ccまでの自然吸気エンジン(ノンターボNAエンジン)を持つ2輪駆動車をベースに、
大幅な改造を加えたクラス。軽い車重を生かし、ターマック(舗装路)イベントでは、時として
4輪駆動のGr.Aのマシンを凌ぐスピードを見せました。シトロエンクサラの劇的な優勝が有名です。
しかし、2000年FIAによるレギュレーションの改訂で車両重量の下限が増加したことによって戦闘力を失いました。
そのためキットカーに熱心だったシトロエンはWRカーに転向を決め、ルノーやニッサンは撤退。
WRカー進出を目論んでこのクラスに出場していたヒュンダイやシュコダ、プジョーも本格的にWRカーに参入したため、
様々なマシンが出揃った、「ベィビィ・ギャング」なこのクラスも過去のものとなってしまいました。
2001年から導入されたカテゴリ。2002年からはタイトルがかけられ「JWRC(ジュニア世界ラリー選手権)」となりました。
日本からはスズキがイグニス(日本名:スイフト)で参戦。WRCの門戸を広く広げるため、キットカーに変わる構想として
ぶち上げられたのがこのクラスです。ベース車両は1600ccまでの自然吸気エンジン(ノンターボNAエンジン)を持つ
FF(前輪駆動)車。出場するマシンの総費用が10万ユーロ以内(約1000万円)とされており、若手のプライベーターや、
目論見どおりラリーに復帰するメーカー、そして新たな挑戦をはじめようとするメーカーも次々と参戦を発表。
それらの負担にならないようなコスト削減策もレギュレーションに盛り込まれています。若手ドライバー育成という点で
年齢制限も設けられています。